INDIVIDUALISM / DIVIDUALISM
複雑化していく現代社会を生きる私たちが
他者に向き合う上で持つ 「多面的内面性」
の一つ一つにクローズアップし、
それぞれを象徴的造形としてデザイン
「生きやすさ」のヒントを思考するシリーズ
INDIVIDUALISM / DIVIDUALISM
― 思考すること、愛すること ―
自らの頭で考え、行動に移し切り開いていく力が今の社会においてはひじょうに大事になっています。それと同時に、自分と異なる境遇にある者への想像力をもつことが生きやすい世の中をつくっていくためには不可欠だと思います。
自然災害、政治の劣化、経済不均衡、そしてコロナ禍による更なる社会不安を経て、私たちtmh. はより内省的にジュエリーデザインの意味や価値に向き合うこととなりました。
INDIVIDUALISM / DIVIDUALISMのシリーズはこれからの社会を生きる上で各々が思考を深め、エンパシーを持つためのきっかけになればとの思いをジュエリーの形としたシリーズとなります。
--- INDIVIDUALISM / DIVIDUALISM とは「個人主義 / 分人主義」の意。
「自らの頭で考え行動に移して切り開く力 / 複雑化した現代社会で生きていけるように人は様々な顔を持ち合わせている」ことと捉え、そのままシリーズ名としています。
(個人主義とは→ Wikipedia / 分人主義とは→作家・平野啓一郎氏の著書「私とは何か - 個人から分人へ」より)
from my window
アンドレ・ケルテス、
ニューヨークのアパート12階の窓辺
妻・エリザベスのガラスの胸像
RING
10-karat gold / 925 SILVER
ニューヨークのワシントン・スクエア・ガーデンを見下ろす アパートの12階の自宅の北側の窓から、ガラスの胸像やオブジェ、窓辺の風景をポラロイドSX-70で撮影した作品集「a ma fenetre / from my window」から着想
象徴的に登場するガラスの胸像は、1977年に先立たれた最愛の妻エリザベスが本屋のショーウィンドウで見つけたものと、後に自身で見つけたもう一つの胸像であったという
ハンガリーからパリへ、その後ニューヨークへと移り住んだケルテスの撮ったこのアパート12階の一室の窓辺風景の作品群は、いまの私たちに様々なことを思い起こさせてくれる
EROS
-Adam, Eve, Cherubim
情動・感覚・知
RING
10-karat gold / 925 SILVER
Adam (アダム) - 情動 - - - リベット(鋲)
Eve (イヴ) - 感覚 - - - 薔薇
Cherubim (ケルビム) - 知 - - - フェーブ(の顔)
「民主主義が未だ成し遂げていないことは、個人に自分自身を愛させること、すなわち個人の知的・情動的・感覚的潜在能力の全てを使って個人の自己に対する深い肯定感をもたせることだ」
--- エーリヒ・フロム
自己に対する肯定感のなさ、無力感は、確実性を与えてくれるとみなされる権威や体制への服従へと繋がり、ますます自己放棄に拍車をかける
一方、自らの内なる尊厳や生命を知る者は、他者の内にも同様なものがあることを知るのである
個人の自立とそこから導かれる他者へのエンパシーこそが、
エーリヒ・フロムの説く「愛」なのだろう
Light in the Window
窓に灯る明かり
Pendant
925 SILVER
アメリカ型資本主義の形象とも言えるボードゲーム「人生ゲーム」。
その初代のものから最もシンプルな家のフィギュアを抽出しペンダントに。
家のフォルムには、ベルギーの画家レオン・スピリアールトが私物の戯曲集のページの空白に描いた、暗がりの中で窓に明かりを灯す家を想わせる象徴的な魅力があります。
アメリカ型資本主義の行き詰まりが世界的に経済格差を生んでしまっている今、安心して暮らせる部屋と食事を万人に保証することこそ文明国の証であると考える私たちtmh.の思いがこのペンダントには込められています。
ペンダントの販売収益の一部を東京都内で生活困窮者の支援活動をおこなう団体に寄付いたします。
pneuma
「プネウマ」
Pendant
10-karat gold / 925 SILVER
pneuma とは古代ギリシア語で「風」「空気」「息」などを意味し、ラテン語ではspiritus スピリトゥス にあたり、そこから英語のspirit スピリット,フランス語のesprit エスプリ,ドイツ語のGeist ガイストの元となった言葉である。
またギリシア哲学においては、存在の原理、生命、命の呼吸、力、精神、超自然的な存在 などを意味する。
これらのことを総じて、人間一人一人の命の尊厳、生きる力、命の輝き、生命の大流といった意味をこのペンダントの “pneuma” という名称に込めることとする。
Meditation
「黙想」
Pendant
10-karat gold / 925 SILVER
デザインソースは1674年にフランス リヨンで束ねられた「黙想」の書
“MEDITATIONS
sur les principales Veritez Chretiennes,et Ecclesiastiques”
の各章の最終ページに刷られた花籠の版画イメージより抽出した
“ Meditation ” 「黙想」を捉える上で、
画家フィンセント・ファン・ゴッホが妹ウィレミーンへ記した手紙の一節より引用する
『ああ、ミレー!ミレー!何と見事に彼は人間性を描き出し、親密であるとともにしかも厳粛な或る高貴さを描いたことだろう。それに今日の時代では、ミレーが涙を流しながら絵を描き始めたこと、ジョットやアンジェリコが膝まずいて描いたこと、悲しみと同情に心ふさがれたドラクロワが……ほとんど微笑みながら、描いたこと、それを思わなければならぬ。われわれ印象派はすでに彼らにならって描くべきではなかろうか。人生の戦いにまみれながらも……「革命の息が奪い去ったものをだれが魂に返すであろうか。」これは他の世代の詩人が発した絶叫であるが、まるでわれわれの今日の虚弱さ、疲弊、錯乱を予感しているようだ。ぼくはよくいうのだが、ぼくらはベルギーのアンリ・コンシアンス老のように新鮮だろうか。彼はいう「ああ、それだから私はブリュッセルでの成功を喜んだのだ。それというのも、畑の静かな畦道を見ると、いまは堕落した子供になったことを感じながらも、あのアントワープのカンピーヌ地方をときどき思い出そうとするからだ。」
遙かにそんなことを考えながら、ぼくは自分をとり戻したい、また鄙びた向日葵の絵には感謝の気持が出ていても、結局ぼくの絵は不安の絶叫のようだという訳を弁じてみたい気持を感じる。ぼくの考えはこのようにまだ論理的に徹底しない__ 百姓たちがやっているようにパンが一片いくらでコーヒーが四分の一リットルいくらだという計算の仕方を覚える方がまだいいのだ。ミレーは茅屋に住んで、誇りだの芸術家の無軌道ぶりを知らない百姓たちともっぱら交わって、模範を示した。
だから仕事に無暗と熱をあげるよりはいささかの知恵をもつこと__ そのときはそのときの話だ。』
フィンセントの末妹ウィレミーン・J. V. ゴッホ への手紙
みすず書房「 ファン・ゴッホ書簡全集 6 」
W20〔サン・レミ 一八九〇年 二月半ば〕